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フィリピン英会話ネット
2009年12月15日

左翼政党 マニー・ビリヤール候補と連携 −フィリピン大統領選挙 −


左翼政党「バヤン・ムナ」のサトゥル・オカンポ下院議員(Satur Ocampo)と左翼女性政党「ガブリエラ」のリザ・マザ下院議員(Liza Maza)が2010年の総選挙で、マニュエル・“マニー”・ビリヤール上院議員(大統領候補)の所属するナショナリスタ党(Nacionalista Party)から上院議員候補として立候補することを明らかにした。

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左 マザ下院議員 右 オカンポ下院議員 Photo by bikoy

バヤン・ムナとガブリエラは共にフィリピン共産党系の政党で、新人民軍ともつながりのある戦闘的左翼政党である。

ナショナリスタ党のマニー・ビリヤール候補はNPCのローレン・レガルダ上院議員を副大統領候補として大統領選に臨むが、同時に行われる上院議員選挙の党公認候補としてバヤン・ムナおよびガブリエラと組むことを発表した。

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ローレン・レガルダ上院議員とマニー・ビリヤール上院議員

以前の記事(マニュエル・マニー・ビリヤール候補 )で報告したように、マニー・ビリヤール候補は住宅開発業で財を成した、国会議員で一番多くの資産を抱えた「ビジネス界の巨人」であり、実力による国家転覆も辞さない共産党系の候補と組むことは異例と言える。

同時に、マニー・ビリヤール候補は先日、マルコス大統領の息子であり、後継者であるKilusang Bagong Lipunan(KBL:新社会運動)のフェルディナンド・“ボンボン”・マルコス下院議員(北イロコス州代表)とも連携を組み、マルコス候補もナショナリスタ党の上院議員候補として公認された。

フィリピン共産党はマルコス独裁政権時代、最も激しくマルコス政権と対峙した戦闘的勢力であり、それが今回、大富豪であるビリヤール候補を挟んで同一政党から立候補することも異様である。

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Photo by counting chest bullets

ビリヤール候補は「どうして私達が左翼連合(Makabayan)と組むのかわからないようならば、あなたにはナショナリスタ党が何のために戦っているのかも理解できないだろう」と語った。

一方、左翼政党のオカンポ候補とマザ候補は連携の理由について「それはヴィリヤール候補とレガルダ候補が政府と社会の有意義な改革のためには、先進的勢力とも協働する準備があるからである」と語った。

フィリピンの国会では政党があまり意味を持たないことについては「フィリピンの国会」で論じたものの、ナショナリスタ党(ビラール候補)は中道右派、NPC(レガルダ候補)は中道、KBL(マルコス候補)は右派、そしてバヤン・ムナ(オカンポ候補)とガブリエラ(マザ候補)は左派と分類される政党であり、それらがみなナショナリスタ党から立候補するというのも、不思議な話だ。

しかし、世論調査において、ビリヤール候補はノイノイ・アキノ候補に次ぐ支持率を得ており、左翼連合(Makabayan)は政党リスト選挙で常に大きな得票を得る勢力である。これまでなら中道左派・自由党(Liberal Party)のアキノ候補をすんなりと支持していたはずのインテリ層の中にも左派政党支持者は多いことから、今後、アキノ候補とビリヤール候補の支持率が縮まる可能性も見えてきたかもしれない。

【参考】Militant solons to run for senator under NP


posted by philnews at 03:39 | Comment(3) | TrackBack(0) | フィリピン大統領選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年12月14日

環境NGO 日本に化石賞 ‐ COP15−



日本、COP15で「化石賞」 NGO「交渉阻んだ」

国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)に参加している国際的な環境NGOは12日、日本が交渉進展を阻んだとして「化石賞」を贈った。交渉のた たき台である国連作業部会議長案が、温室効果ガス排出の削減を先進国にだけ義務づける京都議定書を、2013年以降も延長することを提案したことに日本が 反対しているためだ。(asahi.com)


COP15に参加している国際的な環境NGOが12日、日本が交渉進展を阻んだとして日本に「化石賞」を贈ったとのことだ。しかし、この記事だけでは、化石賞が何なのか?どの程度の不名誉なのかが判然としない。そもそも、その環境NGOというのは、会議場の外で暴力的なデモを繰り返すグループなのか?

まずCOP15とは何かというと

COP15とは?

COPは、締約国会議(Conference of Parties)の略です。COPは、国連気候変動枠組条約(UNFCC)を受けて設置された会議で、年に一度、各国の環境に関わる省庁の大臣が集まり、 同条約の成果について話し合います。2009年のこの会議は、12月7日から18日までの2週間にわたり、 デンマークの首都コペンハーゲンで行われる予定です。会議の目的は、京都議定書に定めのない2013年以降の地球温暖化対策を決定し、各国の同意を求める ことにあります。


COPとは国連気候変動枠組条約の成果について、年に一回、各国の大臣が集まり話し合う「締結国会議」のこと。今回は第15回目の会議であることからCOP15と呼ばれている。国連気候変動枠組条約は日本では地球温暖化防止条約とも訳されるが、現在、187か国および欧州共同体 (EC) が締結している。有名な京都議定書は1997年、京都で開催された第三回締約国会議(COP3)で採択されたもの。



では、今回、日本に与えられた「化石賞」とは何なのか?というと


「化石賞」とは
地球温暖化対策に前向きな取り組みを見せない国に対して、NGOがバッドジョークとして与える不名誉な賞。1999年のCOP5(ドイツ・ボン)において初められ、以来、恒例のセレモニーとして、継続的に実施されている。気候変動問題に取り組んでいる世界のNGOのネットワークであるCAN(気候変動アクション・ネットワーク)が、会議の会期中、各国の交渉に臨む姿勢を毎日評価し、地球温暖化防止交渉にマイナスな発言をした国など「本日の化石賞」に選定し、公表している。


「化石賞」の正式名はFossil of the Day(本日の化石賞)であり、会議の会期中、毎日贈呈されており、Fossil of the Day Award  で公表されている。

次に、化石賞を贈呈する環境NGO「CAN(気候変動アクション・ネットワーク)」とは具体的に何なのか?というと

The Climate Action Network (CAN) is a worldwide network of roughly 500 Non- Governmental Organizations (NGOs) working to promote government and individual action to limit human-induced climate change to ecologically sustainable levels.

気候変動アクション・ネットワーク(CAN)は、人間活動による気候変動を環境的に持続可能なレベルに制限するための、政府と個人のアクションを促進することを目的に活動する世界中約500のNGOのネットワークである。

とのことだ。

どうやら環境NGOネットワークが「ジョーク」でやっているだけの話らしい。ちなみに、COP15でこれまでに化石賞を贈られた国々は

2日目
1位:ウクライナ
2位:EU以外の先進国全て
3位:ウクライナ

3日目
1位:カナダ、クロアチア
2位:ロシア

4日目
1位:ポーランド
2位:ドイツ
3位:ニュージーランド

5日目
1位:カナダ
2位:カナダ
3位:EU

6日目
1位:日本
2位:パプア・ニューギニア

となっており、特に日本だけを特別に叩いているわけでもない。



朝日新聞の記事では、如何にも日本が不名誉な賞を受賞したかの印象を受けたが、こうして見ると取り立てて騒ぐほどの話でもなさそうだ。もちろん、そもそも温暖化対策に力を入れていないアメリカ、中国に化石賞が贈られないのは変な話だが。


posted by philnews at 20:42 | Comment(3) | TrackBack(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミンダナオ島の武装勢力



今回の事件は武装集団Lumadnong Pakigbisog sa Karaga (Lupaka:カラガ・ルマドの闘い)に属する2グループ間の対立が原因だったとされている。事件の首謀者オンド・ペレス(Ondo Perez)によると、対立グループにより彼に掛けられた殺人の告訴取り下げが人質解放の条件であり、それを認められたための解放となった。ペレスのグループは対立グループのリーダー ジュン・トゥバイ(Jun Tubay)との間に土地争いを抱えており、これまでに両グループ間の抗争で30人が死亡しているとのことだ。

武装集団Lupaka(ルパカ)は80年代に反政府勢力として結成され、誘拐事件を起こすなどしていたが、国軍の介入により2001年に正式に解体されていた。しかし、武器の回収はできていなかった。

それにしてもミンダナオ島の情勢は複雑でわかりづらい。現地紙に目を通していても、どの地域でどの勢力が問題の背景にいるのかがなかなか釈然としない。

まず、ミンダナオ島には南西部を中心に多くのイスラム系フィリピン人(モロ、ムスリム)が住んでいる。フィリピンのイスラム教人口は全人口の5%(約500万人)、ミンダナオ島人口の2割と見られるが、その多くがこの地域に住んでおり、「マギンダナオの大虐殺」があったマギンダナオ州などはその中心で、周辺6州がイスラム教徒ミンダナオ自治地域(Autonomous Region in Muslim Mindanao, ARMM) に加盟している。MILF、MNLF、アブサヤフを構成するのはイスラム系住民である。

そして、イスラム系以外にもミンダナオ島には先住民族が多い。これら先住民族はルマド(Lumad)と総称されるが、イスラム系住民がミンダナオへ渡ってくる前からフィリピンにいた民だと考えられており、イスラム教にもキリスト教にも改宗しなかった人たちで、大きな集団だけでもマノボ族、チボリ族など13民族いる。今回の事件を引き起こした武装集団はマノボ族によって構成されていた。

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第一回ミンダナオ先住民会議 photo by Keith Bacongco

一方、ミンダナオ島の最大人口を占めるのはキリスト教徒である。これはイスラム教、アニミズムから改宗した者および、ビサヤ諸島からミンダナオへ移住してきた者が構成している。特に、戦後、ビサヤ地域から大量に移住してきた住民と先住民の間での土地争い・摩擦が絶えない。

また、ミンダナオ島は広大で、自然資源、鉱物資源が豊富なことから、戦後、多くの鉱山企業、伐採企業、プランテーションなどが次々と進出した。その際、先住民族やイスラム教徒の土地を二束三文で手に入れ、住民を追い出すことが多く見られた。そして、これは過去の話ではなく、現在も続いている。

鉱山企業の進出に対しては先住民族から強い反対運動が起こることが常なのだが、政府・軍はこれをフィリピン共産党・新人民軍による扇動と見なして潰しに掛かる。その際、軍は先住民族の村へ常駐し、住民に対して尋問・査問を繰り返し、新人民軍につながりのあるゲリラだと見なし超法規的に暗殺してしまうこともある。

また、政府は直接国軍および警察により秩序維持活動を行うだけでなく、民兵組織を組織し、反対住民と対立させる。国軍が組織した民兵組織をCAFGU、警察が組織した民兵組織をCVOと呼ぶのだが、マギンダナオの大虐殺を遂行したとされるアンパトゥアン一族が組織した民兵組織はCVOを中心としたものだったことは記憶に新しい。

つまり、ミンダナオ島にはキリスト教徒、イスラム教徒、先住民族がいて、政府勢力と反政府勢力、進出企業と反対住民、武力闘争と非暴力運動などが入り乱れている。武装勢力だけに限定すると

政府側
国軍:Armed Force of the Philippine(AFP)
国家警察:Philippine National Pollice(PNP)
CAFGU: Citizen Armed Forces Geographical Unit
CVO:Civilian Volunteer Organization
MNLF:Moro National Liberation Front: モロ民族解放戦線
たまに米軍

反政府側
MILF: Moro Islamic Liberation Front: モロイスラム解放戦線
アブサヤフ:Abu Sayyaf Group(ASG)
新人民軍:New Peoples Army(NPA)
先住民族武装勢力
たまにJI(ジェマ・イスラミア)

となる。そして、これら政府対反政府の武力衝突が起こるたびに多くの国内避難民が発生している(2000年100万人、2003年40万人、2008年50万人)。



政府とMILFの間で署名される予定だった和平合意は2008年8月に最高裁によって違憲として破棄されてしまった。これにより、ミンダナオ島の平和はますます遠のいたと言えるだろう。



【参考】
42 Agusan hostages freed
Regime’s Counter-Insurgency Campaign Drives Mindanao Lumads Homeless
posted by philnews at 00:27 | Comment(4) | TrackBack(0) | フィリピン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年12月08日

マギンダナオの大虐殺



マギンダナオの大虐殺は2009年11月23日、フィリピン・ミンダナオ島マギンダナオ州アンパトゥアン町で発生した事件。

エスマエル・マングダダトゥ氏(ブルアン町・副町長)が2010年に予定されている総選挙でマギンダナオ州知事選に立候補するための届出を家族が行おうとしたところを、対立候補であり、地元の有力政治一族であるアンダル・アンパトゥアンJrの私兵らに襲撃され、家族・支援者(11人)、報道陣(34人)、巻き添え(5人)を含む少なくとも57人が惨殺されたとされる。

マングダダトゥ副町長は衝突を避けるために、本人は届出へ出向かず、妻や娘などの女性に手続きを行わせ、多数の報道陣を同行させることにより、対立陣営が手出し出来ないようにしていたにも関わらずの襲撃・惨殺事件だった。また、遺体が埋められた穴は事件の2日前には掘られており、計画的・組織的犯行であったことを示している。

事件の首謀者とされるアンダル・アンパトゥアンJrは現職のダトゥ・ウンサイ町長であり、父親のアンダル・アンパトゥアンSr(現職知事)の後継候補として知事選挙への立候補を予定していた。

フィリピンでは選挙の度に選挙関連暴力・殺人事件が多発し、毎回多くの犠牲者が出るものの(例えば2004年の総選挙では249件の事件が起こり、148人の犠牲者が、2007年の中間選挙では229 件の事件が起こり、121人の犠牲者が出た)、一度に57人もの組織的虐殺が行われたことは初めてであり、報道陣が34人も一度に殺害されたことも歴史の記録上ない(フィリピンではジャーナリストの殉職者がイラクについで世界で2番目に多い)。



アンパトゥアン一族(Ampatuan)



アンパトゥアン一族はマギンダナオ州の有力政治一族であり、マギンダナオ州知事アンダル・アンパトゥアンSr(Andal Ampatuan Sr)を頂点に、州内36町のうち18町の町長を一族が占める。また、2005年にはアンダル・アンパトゥアンSrの息子ザルディ・アンパトゥアン(Zaldy Ampatuan)が38歳の若さでARMM(イスラム教徒ミンダナオ自治地域:ミンダナオ島内6州で構成される自治地域)の知事に選出されるなど、地域に王国を築いていた。

但し、アンパトゥアン一族の台頭はそれほど古いことではない。1986年のエドゥサ革命によりマルコス元大統領が失脚、古い体制を刷新するためにアキノ大統領がアンダル・アンパトゥアンSrをマギンダナオ州マガナイ町の暫定町長に任命したのが始まりである(アキノ新体制により全国のそれまでの首長はすべて入れ替えられた)。その後の選挙で正式に町長として当選し、1998年にはマギンダナオ州知事に当選した。

アンダル・アンパトゥアンSrには4人の妻と30人の子どもがおり、他の政治一族と姻戚関係を結びながら一族の支配力を増してきた。特に、2001年にアロヨ政権が成立して以来、その力は益々大きなものになったとされる。

アンパトゥアン一族の繁栄は銃の力とマラカニアン(アロヨ)の力によって支えられてきたと言われている。アンパトゥアン一族は私兵を用い警護と対立勢力への威嚇を行った。一時は重武装した200人の私兵とともに20台の車で移動する姿が普通に見られたという。また、マギンダナオ州はアロヨ大統領とフェルナンド・ポーJrの間で争われた2004年の大統領選挙で、アロヨ193,938 票 対 ポー59,892票という大差がついた地域だが(全国的には僅差またはポーの得票数が多かった)、その中でもいくつかの町ではフェルナンド・ポー・Jrの得票数が0となるなど、通常では考えられないことが起きた地域でもある。この票による忠誠と引き換えに、アンパトゥアン一族には繁栄が与えられていたと言われている。

マギンダナオ州はフィリピンの中でも3番目に貧しい地域とされ、2006年の統計では62%が貧困線以下の生活を送っているとされる。また、成人の識字率も39.7%(2005年)と、全国平均である84%を大きく下回る。このため、海外からの援助(ODA)も重点的に注ぎ込まれる地域となっているが、マギンダナオの州庁舎はフィリピン国内他州の庁舎よりも格段に立派なものが建っているなど、これら海外援助がアンパトゥアン王国を支えていたとの見方もある。



戒厳令



今回の事件の容疑者としてアンパトゥアン一族に対し逮捕命令が出された。しかし12月4日、この逮捕を実施するにあたってアロヨ大統領はマギンダナオ州に戒厳令を布告した。

戒厳令は憲法上「侵略又は反乱があり、公共の安全が必要とされた場合、大統領は、60日を越えない範囲で、人身保護礼状の特権を停止し又はフィリピン全土又は一部を戒厳令下に置くことができる」と定められている。

In case of invasion or rebellion, when the public safety requires it, he may, for a period not exceeding sixty days, suspend the privilege of the writ of habeas corpus or place the Philippines or any part thereof under martial law. (フィリピン憲法 第7条 第18項)

フィリピン国内では今回の事件を「侵略又は反乱」と捉えることはできないとして、アロヨ大統領による戒厳令の布告を憲法違反だとする意見が多数を占めるものの、上で見たマギンダナオ州の「アンパトゥアン王国」を相手とする捕物劇であることから、仕方がないとする向きもある。

しかし、今回の事件はフィリピンの中でさえ普通の出来事ではないとはいえ、中央政府の統治が全国には及んでいないこと、そして、フィリピン政治の現実が民主主義の理想とは程遠いことをまざまざと見せ付けたと言えるかもしれない。

【参考】
Maguindanao massacre

Amid the fighting, the clan rules in Maguindanao
posted by philnews at 01:38 | Comment(5) | TrackBack(1) | フィリピン大統領選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年12月02日

日本経済 過去20年の推移

まず最初に確認しておきたいのは以前紹介した日本の名目GDPの推移

[世] 名目GDPの推移(日本)

2009年と1992年の名目GDPが同じ、つまり、名目で見ると日本はこの17年間成長していなかったことがわかる。そして、より注目すべき所は1997年から98年にかけてと、2000年から2001年にかけて、それから2003年から2004年にかけての3箇所。このそれぞれの時期に転換点があったことがわかる。つまり

1. 97年まで上昇していた名目GDPが98年には下落に転じた

2. 一旦持ち直した名目GDPの上昇が2001年には下落に転じた

3. 2004年には名目GDPが上昇に転じた

の3つである。

より正確に見るために、今度は実質GDP成長率を見ておきたい。

[世] 実質経済成長率の推移(日本)

ここでもやはり

1.98年にマイナス成長に転じた

2.2000年にプラス成長へ転じた実質成長率が2001年には再びゼロ成長に転落した

3.2003年から2007年まではプラス成長していた

ことがわかる。

このそれぞれの時期(転換点)にあった出来事を振り返るとちょうど

1.橋本政権による財政再建のための財政支出の削減と、消費税の引き上げ
2.小泉政権による財政再建のための財政支出の削減(国債30兆円枠)
3.小泉政権によるりそな銀行の救済(2003年)を契機とした株価上昇

と重なる。また量的緩和持続による日米金利差拡大により2005年からは円安が進行し、それに合わせ輸出産業が好調となり、外需主導の経済成長をしている(但し、財政支出が削減されているため内需の拡大は限定的だった)。

日本のインフレ率(デフレ率)推移


次に、インフレについて見ておきたい。物価が持続的に上昇する経済現象をインフレ、逆に物価が持続的に下落する現象をデフレと呼ぶが、このインフレ・デフレを測る指標には大きく分けてGDPデフレーター、企業物価指数と消費者物価指数がある。GDPデフレーターは名目GDPを実質GDPで割った指標であり、輸入物価の変化による影響を控除した国内の物価水準を表している。これに対し消費者物価指数(CPI)は消費者が実際に購入する段階での商品の小売価格(物価)の変動を表す指数であり、消費者にとってより直感的なものとなる。さらに、消費者物価指数(CPI)から価格が天候等に左右される生鮮食品を除いたものをコアCPI、さらに輸入価格に左右されるエネルギー価格も除いたものをコアコアCPIと呼ぶ。天候や輸入物価、またエネルギー価格の影響を除いたインフレ率を知るためにはGDPデフレーターないしはコアコアCPIを用いるのが望ましい。

グラフは過去20年のGDPデフレーター(名目GDP / 実質GDP)の推移である。推移がプラスならインフレ、マイナスならデフレ傾向にあると見ることが出来る。

[世] GDPデフレーターの推移(日本)

このグラフから日本経済は1991年以降物価が上がらず、1998年からは一貫してデフレ傾向にあることが見て取れる。

同じくインフレ率を消費者物価指数(CPI)で見ておこう。

jp_cpi.GIF
消費者物価指数推移
http://ngtn.blogspot.com/2009/10/20099_2757.html
より転載

グラフのうち、97年に急上昇している部分があるが、これは消費税の3%→5%への引き上げが行われたため。ちょうど2%分だけ上昇している。また2007年から2008年にかけてCPI総合と除生鮮(コアCPI)が急上昇しているが、これはエネルギー価格高騰が原因。除食料・エネルギー(コアコアCPI)はほとんど上昇していない。

このグラフから確認できることは、コアコアCPIについて見れば、98年から現在(2009年)までインフレ率がプラスになったことがないことである。GDPデフレーターから読み取れることと一致している。

日本のデフレと日銀の金融政策


物価の安定を目的とし、金融政策を行うのは日本銀行(日銀)であるが、その日銀はデフレに対応し、99年からゼロ金利政策を採用した。これまでの日銀の金融政策を振り返ると

1999年2月 ゼロ金利政策開始
2000年8月 ゼロ金利政策解除・金利引き上げ
2000年秋以降 ITバブル崩壊による不況入り
2001年3月 量的緩和政策開始
2006年3月 量的緩和終了・金利引き上げ

ここで重要なポイントは、これまで日銀は2000年と2006年、まだインフレが進んだとは言えない段階であっさりとゼロ金利・量的緩和を終了し、金利引き上げを行ったことだろう。2000年にはどの数値を見てもインフレ率はマイナスだったし、2006年にも少しもインフレ傾向を示すような状態にはなかった。

にもかかわらず、日銀があっさりと金利を引き上げたことから「日銀はインフレが進む前に、インフレ率が少しでもプラスに転換したら金利引き上げを行う」という予測が社会に成立してしまった可能性がある。デフレ下では個人は消費を、企業は投資を抑制することがそれぞれにとっての最適な戦略となる。一方、インフレ下では個人は消費を、企業は投資を促進することが有利となる。その上、個人も企業も「将来の価格」を予測して行動することから、将来もインフレが続くとの予測が成立しなければ消費も投資も拡大を望めない。

それなのに、どうやらこの国の中央銀行(日銀)はなにがなんでもインフレだけは食い止めようとしてきた(いる)のだ。

不況下にやってはいけないこと


以上の簡単なデータの検証から得られる教訓は

1.不況下では財政支出(公共事業)を減らしてはいけない
2.不況下では増税をしてはいけない
3.デフレ脱出のためには、インフレが長期持続していないうちに利上げをしてはいけない

の3つだと言える。どれも経済学的には初歩的な話なのだが、日本はこの20年に渡って、このやってはいけないことを繰り返し、わざわざデフレ・不況を持続させてきたと言えそうだ。

【出典・参考】Everybody Gets What They Want
世界経済のネタ帳
posted by philnews at 04:21 | Comment(3) | TrackBack(1) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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