マギンダナオの大虐殺は2009年11月23日、フィリピン・ミンダナオ島マギンダナオ州アンパトゥアン町で発生した事件。
エスマエル・マングダダトゥ氏(ブルアン町・副町長)が2010年に予定されている総選挙でマギンダナオ州知事選に立候補するための届出を家族が行おうとしたところを、対立候補であり、地元の有力政治一族であるアンダル・アンパトゥアンJrの私兵らに襲撃され、家族・支援者(11人)、報道陣(34人)、巻き添え(5人)を含む少なくとも57人が惨殺されたとされる。
マングダダトゥ副町長は衝突を避けるために、本人は届出へ出向かず、妻や娘などの女性に手続きを行わせ、多数の報道陣を同行させることにより、対立陣営が手出し出来ないようにしていたにも関わらずの襲撃・惨殺事件だった。また、遺体が埋められた穴は事件の2日前には掘られており、計画的・組織的犯行であったことを示している。
事件の首謀者とされるアンダル・アンパトゥアンJrは現職のダトゥ・ウンサイ町長であり、父親のアンダル・アンパトゥアンSr(現職知事)の後継候補として知事選挙への立候補を予定していた。
フィリピンでは選挙の度に選挙関連暴力・殺人事件が多発し、毎回多くの犠牲者が出るものの(例えば2004年の総選挙では249件の事件が起こり、148人の犠牲者が、2007年の中間選挙では229 件の事件が起こり、121人の犠牲者が出た)、一度に57人もの組織的虐殺が行われたことは初めてであり、報道陣が34人も一度に殺害されたことも歴史の記録上ない(フィリピンではジャーナリストの殉職者がイラクについで世界で2番目に多い)。
アンパトゥアン一族(Ampatuan)
アンパトゥアン一族はマギンダナオ州の有力政治一族であり、マギンダナオ州知事アンダル・アンパトゥアンSr(Andal Ampatuan Sr)を頂点に、州内36町のうち18町の町長を一族が占める。また、2005年にはアンダル・アンパトゥアンSrの息子ザルディ・アンパトゥアン(Zaldy Ampatuan)が38歳の若さでARMM(イスラム教徒ミンダナオ自治地域:ミンダナオ島内6州で構成される自治地域)の知事に選出されるなど、地域に王国を築いていた。
但し、アンパトゥアン一族の台頭はそれほど古いことではない。1986年のエドゥサ革命によりマルコス元大統領が失脚、古い体制を刷新するためにアキノ大統領がアンダル・アンパトゥアンSrをマギンダナオ州マガナイ町の暫定町長に任命したのが始まりである(アキノ新体制により全国のそれまでの首長はすべて入れ替えられた)。その後の選挙で正式に町長として当選し、1998年にはマギンダナオ州知事に当選した。
アンダル・アンパトゥアンSrには4人の妻と30人の子どもがおり、他の政治一族と姻戚関係を結びながら一族の支配力を増してきた。特に、2001年にアロヨ政権が成立して以来、その力は益々大きなものになったとされる。
アンパトゥアン一族の繁栄は銃の力とマラカニアン(アロヨ)の力によって支えられてきたと言われている。アンパトゥアン一族は私兵を用い警護と対立勢力への威嚇を行った。一時は重武装した200人の私兵とともに20台の車で移動する姿が普通に見られたという。また、マギンダナオ州はアロヨ大統領とフェルナンド・ポーJrの間で争われた2004年の大統領選挙で、アロヨ193,938 票 対 ポー59,892票という大差がついた地域だが(全国的には僅差またはポーの得票数が多かった)、その中でもいくつかの町ではフェルナンド・ポー・Jrの得票数が0となるなど、通常では考えられないことが起きた地域でもある。この票による忠誠と引き換えに、アンパトゥアン一族には繁栄が与えられていたと言われている。
マギンダナオ州はフィリピンの中でも3番目に貧しい地域とされ、2006年の統計では62%が貧困線以下の生活を送っているとされる。また、成人の識字率も39.7%(2005年)と、全国平均である84%を大きく下回る。このため、海外からの援助(ODA)も重点的に注ぎ込まれる地域となっているが、マギンダナオの州庁舎はフィリピン国内他州の庁舎よりも格段に立派なものが建っているなど、これら海外援助がアンパトゥアン王国を支えていたとの見方もある。
戒厳令
今回の事件の容疑者としてアンパトゥアン一族に対し逮捕命令が出された。しかし12月4日、この逮捕を実施するにあたってアロヨ大統領はマギンダナオ州に戒厳令を布告した。
戒厳令は憲法上「侵略又は反乱があり、公共の安全が必要とされた場合、大統領は、60日を越えない範囲で、人身保護礼状の特権を停止し又はフィリピン全土又は一部を戒厳令下に置くことができる」と定められている。
In case of invasion or rebellion, when the public safety requires it, he may, for a period not exceeding sixty days, suspend the privilege of the writ of habeas corpus or place the Philippines or any part thereof under martial law. (フィリピン憲法 第7条 第18項)
フィリピン国内では今回の事件を「侵略又は反乱」と捉えることはできないとして、アロヨ大統領による戒厳令の布告を憲法違反だとする意見が多数を占めるものの、上で見たマギンダナオ州の「アンパトゥアン王国」を相手とする捕物劇であることから、仕方がないとする向きもある。
しかし、今回の事件はフィリピンの中でさえ普通の出来事ではないとはいえ、中央政府の統治が全国には及んでいないこと、そして、フィリピン政治の現実が民主主義の理想とは程遠いことをまざまざと見せ付けたと言えるかもしれない。
【参考】
Maguindanao massacre
Amid the fighting, the clan rules in Maguindanao

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フィリピンは発展途上国の中でも育ってきている方だと勝手に思っていましたが…
選挙の度に殺人が横行するというのはぞっとしない話です
でも、この事件は日本じゃ小さい記事が出て終わるんでしょうね
日本は平和ボケしすぎなんかなぁと思います
この事件は、さすがにフィリピンでも常識を超える、考えられない事件です。普段の選挙関係の抗争は日本でいう組の抗争に似ていて、銃弾を撃ち込むとか、本当に玉をとるとか、まあ「抗争」の範囲で終わるのであって、こんな計画的な虐殺はないんじゃないでしょうか?
フィリピン社会としても予測外の事態に対応不能に陥っている面があって、それが「憲法の規定外」の戒厳令の布告と、それへの対応に世論が割れていることに現れている気がします。
まあ、確かに少し前にはミンダナオ島の一部地域は政府の統治が及んでいなくて、モロ武装勢力が独自に統治していたり、エストラーダ大統領が全面戦争を宣告していたわけですから、考えられないこともないんですけどね。
タガログ低地民社会になじんでしまった私にはちょっと理解し難いです。ムスリムの専門家の方々はどんな見解なんでしょうね?
ビレッジ内ではなく、独自のものものしい警備付きで。
しかし、MILFの名前を出してしまったがために、MILFが黙っちゃいない。
悪党の館は廃墟と化す。
政府はアンパトゥアンの所業を前から知っていたはずだが、対策が後手後手となり、結果マギンダナオ州の戒厳令だ。
ムスリムには政府の力など及ばない。独自の法律ってものがある。
以前にギボがアンパチュアンとマングダダトゥの仲介をし、マングダダトゥは選挙に出馬しないという合意を得ていたということをラカスカンピのスポークスマンが言っているようです。いずれにせよ、ギボにとってマイナス要因になっているのは個人的には残念です。
この後のことを考えていない無茶苦茶な暴挙と残虐な殺害の仕方(とくに女性)をみると、この二つのファミリーの間の憎悪は計り知れないもので、生死をかけた戦いになっているからだとしか説明のしようがない。どうせ選挙に負けてすべて失なうのであれば、皆殺しにすれば生き延びるチャンスが出てくるかもしれないと考えたのか。
MILFがどちらの側なのかわわからないが、この地域はフィリピンから独立させるのがひょっとしていいのかもしれないと思ってしまった。
厳戒令については、こんな状況でかつ無法地域と化している一部の地域だけなのに、なぜこんなに批判が出るのが理解できません。
ミンダナオ島は政府と合意したイスラム勢力、まだ交戦してる勢力MILF、それにアブサヤフに新人民軍までいて、私には内情がわかりません。ミスアリ議長もあっという間に失脚してしまいましたし。
maxさんのおっしゃるとおり、マングダダトゥが立候補しないという合意が10月の時点で交わされていたようですね。
それにしても最新の報道ではアンパトゥアン一族は今回の虐殺の他に、在任中に少なくとも200人以上を暗殺していたというニュースもありますから、まさに銃とマラカニアンの力による支配が行われていたのだと思います。
今回の記事のアンパトゥアン王国の部分はPhilippine Center for Investigative Journalism (PCIJ)の昨年8月の記事を参考にしたものですが、ここはいつもかなり踏み込んだ良い記事を書くなあと関心します。