
A Dangerous Life
コラソン・アキノ元大統領の活躍を描いたドラマ「A Dangerous Life」を見た。これは1983年に起きたベニグノ・アキノJr(Benigno Aquino, Jr.)の暗殺から 1986年のEDSA革命(2月22日-26日)によりマルコス元大統領が追放されるまでを描いた6時間ドラマで、1988年にオーストラリアのテレビ局によって制作されたものだ。
フィリピンでは、ホーリーウィークはテレビ局のスタッフの多くも休暇なので、映画とキリスト教関係の番組ばかりになるのだが、このドラマは木曜から土曜まで3夜連続で放映された。もちろん、コーリー・アキノの息子であり、大統領候補であるノイノイ・アキノを支援するために放送されたわけだが、企業スポンサーは一切つけていないらしく、CMは全てABS-CBNの番組宣伝だけだった。まさにABS-CBN(ロペス財閥)挙げての選挙活動である。

コラソン・アキノ大統領
外国人の目から見た映画らしく、まず、コラソン・アキノの鼻が不自然だ。鼻を低く見せようとしたためだろう、何か異様なメイクを施している。対するイメルダ・マルコスは美人に描かれすぎている。60年代ならいざしらず、80年代後半のイメルダはすでに60近いのに。まあ、そうした部分はさておいて、それぞれの役者はできるだけ実物に似た俳優を用いているようで、特に有名な俳優を配しているわけではない。

マルコス大統領
話自体はできるだけ史実を忠実に再現しているようだった。そこで改めて感じたのだが、EDSA革命(ピープルズ・パワー)が起きたとき、コラソン・アキノは何もしていない。EDSA革命の主役はエンリレ国防相であり、ラモス参謀副長であり、ホナサン大佐を中心とする国軍改革派(RAM)だった。このマルコス大統領に叛旗を翻したエンリレ達が、自分達を守るため、シン枢機卿の協力を得てEDSA大通りを200万人とも言われる民衆で埋め尽くしたのであり、国軍の中からも反乱勢力への同調者が現れ、マルコスが劣勢に追い込まれていったのだ。このとき、アキノ自身はセブ島にいて、ただ祈るばかりだった。アキノがマニラに現れたのは大勢が決した後(2月24日)だ。そして25日、コラソン・アキノは大統領就任式を執り行い、翌26日にマルコスは国外へと脱出する。

EDSA革命(1986)
このドラマの製作が88年なので、すでに政権交代後の複数回に渡る国軍改革派(RAM)によるクーデターやエンリレ国防相のアキノ政権からの離脱をも観察した上で脚本が作られたのだろう。なぜなら、この映画を見る限り、EDSA革命の主役はエンリレであり、RAMであり、アキノ大統領自身は何もしていない。にも関わらず、アキノ政権ではエンリレ国防相は望んでいたはずの首相には任命されず、RAMの最大の敵である共産主義者には寛容な政策がとられたのだから。ドラマの中で描かれたエンリレの面白くなさそうな表情が、その後のできごとの伏線となっている。
このように、筆者はこのドラマをエンリレを主役として見てしまった。そしてアキノ元大統領の優柔不断さを見取ってしまった。83年から86年までの一連の事態がこのように描かれたのはまさに、製作者が外国人だったからだろう。そうした意味で、このドラマ「A Dangerous Life」はどのていど選挙活動として有効だったのだろうか?果たして、有権者であるフィリピン国民はこのドラマをどう見たのだろうか?

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