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フィリピン英会話ネット
2009年08月13日

フィリピンの国会(Congress)

フィリピンの国会(Congress)は上院(Senate:定数24)と下院(House of Representatives:定数250以内)からなる。このうち上院は全国区で選出され、任期は6年、3年毎に半数が改選される。下院は選挙区から小選挙区制で選出される地区代表議員と、全国区の政党名簿(Party List)から選出される政党代表議員(50人以内)がいる。下院議員の任期は3年で、連続4選禁止と定められている。

予算案や法案は下院で発議・議決され、上院での修正提案・議決を経て、大統領へ送られる。大統領は法案の拒否権と修正提案権を持つ。上院議員(Senator)は全国区から選出されること、定数が少ないこと、条約の承認権を保有することから、一人当たりの持つ影響力は下院議員より大きく、上院は次期大統領の養成所とも考えられている。実際、歴代大統領14人のうち、9人までが上院議員経験者であった。一方、下院議員には各地の地主層を中心に伝統的な有力者が多く、選挙民からは地元へ事業や国家資源を引っ張ってくることが期待されている。

下院に議席を持つ政党は、選挙区議員を持つ10の主要政党と、政党名簿による議席をもつ16の少数政党がある。主要な政党としては、1907年にフィリピン最初の政党として結党され、歴代数多くの大統領を生み出したNationalista Party(下院8議席、上院4議席)、1945年にNationalista Partyから分裂する形で結党され、ケソン、キリノ、マカパガル大統領を輩出したLiberal Party(下院16、上院4議席)、1991年にNationalista Partyから分裂することにより結党され、エストラーダ大統領の支持基盤でもあるNationalist People's Coalition(下院28議席、上院2議席)、そして、1991年、ラモス大統領により結党され、現在はアロヨ大統領が所属する最大与党Lakas-CMD(下院141議席、上院4議席)などがある(( )内は現有議席数)。

しかし、フィリピンの場合、こうした政党に関する分類はあまり意味を持たない。そもそも政党間で政治理念の違いがあるわけではない上に、どの政党が勝とうが、最終的には大統領が所属する政党が絶対多数を占める最大与党になるからだ。

フィリピンでは大統領のもつ権限が極めて大きい。具体的には行政府の長としての行政統括権のほか、国軍統帥権、戒厳令発動権、条約締結権、海外からの借款の締結権、予算案を含む法案の拒否権、上級公務員の任命権など、非常に広範囲にわたる。つまり、大統領は国家資源の配分を独占的に握っているようなものだ。これらの国家資源へアクセスするためには、大統領に近づくことが必要なので、下院議員の多くはどの政党から立候補し、当選しても、そのときの大統領が所属する政党へと鞍替えする。だから、大統領が所属する政党が事後的に最大与党となるのである。

つまり、制度的にはアメリカ型民主主義に基づく議会制度・政党政治のシステムをもっていながら、実際の運用は伝統的な個人主義に基づいた、ボス支配の構図なのだ。

とはいっても、与党・自由民主党と、自由民主党出身者が主導権を握っている野党・民主党の間で政権交代が行われようとしている国の人間が偉そうなことは言えないのだが。

【参考】1987年フィリピン共和国憲法
List of Political Parties in the Philippines
自由民主党出身の民主党国会議員
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2009年07月17日

フィリピンの生産性

フィリピンの貧困の原因は、生産力が低いことである。とはいっても、本来、これは何も言っていないに等しいほどに自明なことだ。にもかかわらず、経済学以外の貧困研究では、フィリピンの貧困の原因を「構造的搾取」であるとか「貧富の格差」であるとか、生産力以外の部分に求めるほうが主流だ。

生産力はGDPで表現される。GDP(国内総生産)とは「一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額」であり、普通、1年間に国内で生み出された付加価値の合計だ。これを人口で割れば一人当たりGDPが出る。

世界銀行の発表によれば、2008年のフィリピンの一人当たりGDPは1,847.40ドル。一方日本の一人当たりGDPは38,442.59ドルだった。つまり、日本人は、フィリピン人の20倍も生産性があるということになる。物価を考慮した購買力平価でみた一人当たりGDPはフィリピンが3,509.87ドル、日本が34,098.78ドルだから、それでも10倍近い開きがある。

もちろんこれには資本、技術、ノウハウ、インフラなど様々な要因があるのだが、それと同時に「労働力の質」が占める要因が大きい。

先日「フィリピン就労日記」の「日系企業とローカル企業」の記事を読ませていただいた。ここにはフィリピンの労働力の質が見事に描かれていた。私はこれを読んで、驚き、怒り、笑い、そして、最後には恐怖さえ感じた。

「労働力の質」とは必ずしも「フィリピン人」のポテンシャルを示しているわけではない。同じ人が、フィリピンで働いているときにはブログにあるような働きぶりなのに、一旦、海外へ出て働くと一日16時間労働も厭わない優秀な労働者へと変身するというのもよく知られている。それがフィリピンが海外へ出稼ぎ労働者を800万人以上送り出せている理由でもある。

つまり、個人の資質だけでなく、フィリピンという社会が個人のもつポテンシャルを台無しにしてしまっている部分が大きいのだろう。とても優秀な人でも、フィリピンで仕事をしたら、銀行へ行くだけで半日つぶれて、アポをとって会いにいったら相手がいない、申請した書類は相手先でいつまでも放置されたままという状況に置かれるのだから、これで「生産性を上げろ」というほうが無理である。

生産性は桶に入れた水の水位みたいなものだから、桶を囲う木片の一片でも低ければ、全体としての生産性はそこまでしか上がらない。

フィリピンの貧困を「奪われたから貧しい」と考えると「奪い返すこと」が正しい戦略となってしまう。その結果、人々の意識と行動は「生産性を高めること」へと向かわない。案外、フィリピンの貧困を構造的搾取で説明する人こそ、この国を貧しいまま置きとどめることに荷担していることを自覚すべきかもしれない。
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2009年07月04日

アキノ大統領


コラソン・アキノ元大統領(76歳)は86年のエドサ革命で第11代大統領となり92年まで任期を務めた、フィリピン初の女性大統領である。83年に暗殺されたアキノ元上院議員の妻であったことが彼女を大統領へと導いた。

しかし、在任中は度重なる国軍改革派による軍事クーデターや90年のルソン島大地震、91年のピナツボ火山の噴火に見舞われるなど、決して恵まれた環境ではなかった。特に、復活した旧既得権層、そして彼女を支持した左派・民主勢力の狭間に立たされ思うような政権運営はできなかったと言われている。

旗印だった農地改革も期待されたほどには進展しなかった。彼女自身がフィリピン有数の大地主であり、財閥でもあるコファンコ家出身であることが農地改革を後退させたとして左派から批判を浴びた。経済的には国有企業の民営化や規制緩和など自由化政策を進めたが、それが軌道に乗り、フィリピン経済が発展を始めるのは彼女の退任後のラモス政権からである。

政界引退後も前エストラーダ大統領を引き摺り下ろしたエドサ2で積極的に活動するなど、自由、民主主義、平和、そして男女平等の象徴として一定の影響力を持ち続けた。

最近の政治的発言としては2008年12月、エストラーダ前大統領に対し「2001年の行動(エストラーダを退陣させたこと)は誤りでした。私たちみんなが間違えたのです。許してください」と謝罪し、アロヨ大統領の退任を求めたものが有名である。

子息に上院議員ベニグノ・アキノ3世(49歳)や有名女優クリス・アキノ(38歳)がいる。


追記:8月1日



アキノ元大統領が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
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2009年06月22日

グリーンピース


グリーンピースは日本では過激な環境保護団体として知られ、例年の捕鯨船の妨害、2008年には鯨肉の入った宅配便の窃盗事件まで起こしたことで知られる。

自分たちの基準での「正義」のためならば法を犯そうが、実力を行使してでも実現させて良いと考えるのは、如何にも暴力的な発想だ。NGOによるささやかな反抗という枠を飛び出して、世界中にネットワークを張り、ふんだんな資金力と組織力で企業・政府に圧力をかけ、聞き入れられない場合は実力行使に打って出る。

こうした行動に最も効果的な対処法は、メディアが彼らの活動を一切報道しないことだろう。そもそも彼らが過激な戦術を選択するのは、それによりメディアの目を引き、より多くの人たちに活動を見せることにある。多くの人が見れば、その中には支持者になって、資金援助を行うものも一定の確率で存在するからだ。

一方、フィリピンではグリーンピースは過激な活動は行っていないように見える。上の記事にあるように、被り物をして集まる程度のかわいいものだ。もし、フィリピンで実力行使でもしようものなら、その場で軍や警察、警備員または私設軍隊に撃たれるだろう。フィリピンでこそダイナマイト漁や森林伐採という環境問題が本当に深刻で、地球環境と人々の生活を直撃しているのだが。

だから、フィリピンでは純粋に良いことをしているNGOだと思われているようで、リチャード・グチャレス(Richard Gutierrez)やリカ・パラレホ(Rica Peralejo)といった人気俳優・女優がサポーターとして広告塔をつとめている。
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2009年06月21日

海外出稼ぎ労働者(Overseas Filipino Worker: OFW)


フィリピンは毎年100万人を労働者として世界各地へ送り出し、統計上800万人以上が海外で就労するか、居住するかしている。また、統計に含まれない不法就労者の存在を考慮すると、実数は1000万人を超えるとも見られている(人口の約10%)。

その送金額は膨大で、2008年には150億ドル(約1兆5000億円)に達している。この額はGDPの約10%、国家財政とほぼ同額である。但し、統計に現れる送金額は銀行送金額だけなので、現金として持ち帰ったり、地下銀行等を利用したものも含めるとその額は何倍にもなると考えられる。

800万人の在留先はアメリカが約280万人、中東が約200万人と最も多く、日本にも20万人が在留している。また、100万人の新規の受け入れ先は中東が最も多く約50万人、アジア諸国が約20万人、アメリカは約3万人である。アメリカの場合、出稼ぎ先というよりは、移住先なのである。

一方、送金元はアメリカからが半分を占める。これはアメリカへ渡ったものは、医師や看護士、エンジニアなどプロフェッショナルとして働く者が多いこと、そして前述のように、アメリカからの送金の多くが銀行を通した正規ルートのものだからだと考えられる。

日本もかつてはフィリピン出稼ぎ労働者の主な受け入れ先で、2004年までは毎年8万人ものフィリピン人を歌手やダンサーとして興行ビザで受け入れていた。しかし、2005年に行われた法務省による省令の改正により、現在、その受入数は年間5000人程度にまで減少した。

これにより、単純計算でもフィリピンは日本からの送金を年間400億円程度失ったことになる。この額は日本による政府開発援助(ODA)供与額(無償・技術協力)の何倍にもあたり、経済的・社会的なネガティブ・インパクトは計り知れないものがあった。

日本は毎年多額のODAを供与する一方で、それよりもずっと大きなネガティブ・インパクトを与える政策転換を行ったのだ。それも国会での承認の必要ない、一省庁の行政権限で行える省令改正によって。

今回、アロヨ大統領が訪日中に、日本へフィリピン人の受け入れを要請したのにはそうした背景もある。

【参考】
http://en.wikipedia.org/wiki/Overseas_Filipinos
海外雇用庁 http://www.poea.gov.ph/ 
国家統計調整委員会 http://www.nscb.gov.ph/ 
posted by philnews at 18:13 | Comment(3) | TrackBack(1) | フィリピン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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